オニールシリンダーの空は何色か
オニールシリンダー(O’Neill cylinder)は回転の遠心力で1gを作る円筒型スペースコロニー。設計者のGerard K. O’Neill本人が1974年のPhysics Today論文で空の色へ触れていて、円筒の大気は標高3300m相当でそこでは空は青い、という類推を書いている。ガンダムの美術は円筒の軸に沿って雲を描く。この空と雲の定性的な議論は昔からあり、NASAの1975 Summer Studyも雲と雨は可能で鏡と組成で調整できると述べる。ただし遠心力で密度が変わる大気に「背景が黒い宇宙でなく明るい対岸」という境界条件とエアロゾルの設計自由度を入れた定量計算や実装は探した範囲で見当たらなかった。なので手元の計算スクリプトで確かめた。静水圧・散乱・熱力学・対流のトイモデルを順に積んだ検証記録。
遠心大気という器
前提は半径3200m・地表1g(回転周期113秒)・等温288K・地表1atm。回転系の静水圧を解くと軸の気圧と密度は地表の82.7%。地球でいえば標高1600mほどの薄さで止まる。地表から軸を見上げる直径6.4kmの視線に積もる空気は海面等価で5.6km。地上で5.6km先のビルを見るのと同じ量の空気越しに対岸の街を見る計算になる。空気塊が地表から軸まで断熱で昇ると−15.2K冷える。湿った空気なら軸で雲になるのは物理的に自然で、ガンダム美術の軸雲は方向として正しい。
レイリー散乱だけなら対岸は鮮明
まずエアロゾルを除いた分子だけの大気。散乱の効きは光学的厚さτで測る。無次元の量で、視線に沿って散乱を受けずに素通しする光の割合がe^(−τ)。見上げの視線は波長550nmでτ=0.065なので94%が素通しし、対岸のコントラストは94%残る。視線が足す大気光(airlight)は青13%・緑6%・赤3%。つまりごく薄く青みがかった鮮明な対岸。
O’Neillの類推を分解するとこうなる。円筒の空気柱は地球の標高3300mから上に残る空気柱とほぼ同じ量で、3300mの高地の空は青い。だから円筒の空も青い。空気の量は確かに合っている。ただし高地の空が青く見えるのは、空気の先の背景が黒い宇宙で、散乱された青だけが目に届くから。円筒の見上げの背景は黒くない。方向によって明るい対岸の土地か、窓越しの黒い宇宙かに分かれる(窓のある設計の場合。後の光源の節で分ける)。airlightが黒地に浮かぶか明地に埋もれるかで見え方は別物になり、土地が背景の方向では「空は青い」は言い過ぎ、が結論になる。
主役はエアロゾル
見え方の大勢を決めるのは分子でなくエアロゾル、というのがここでの仮説。視程16kmの霞を入れると同じ視程でも置き方で結果が割れる。円筒全体に一様に撒けば見上げの対岸コントラストは21%。地球型の境界層(スケール高500m)に押し込めれば74%。水平方向10kmはどちらも8.7%で変わらないのに見上げだけ3.5倍違う。そしてエアロゾルの鉛直分布を決めるのは対流と濾過と空調(HVAC)。対岸が見えるかどうかは大気の性質でなく空調設計の帰結、というのがこの計算の支持する仮説になる。
光源の入れ方で空は3種に分岐する

図の上4段が空スキャンの色帯で、上から窓型の清浄・霞、軸灯型の清浄・霞。下段は同じスキャンの輝度分布。横軸は見上げの仰角で90°が天頂(軸の方向)。
太陽光の導入方式で空は3種類に分かれる。
- 側面窓帯+外部鏡(Island Three・Stanford Torus)。軸灯は要らない。天頂の背景は窓越しの黒い宇宙で、清浄時は暗い青灰の帯(#5a729c)。霞むと反転して白熱する(#fefefe・土地の5.4倍の輝度)。見上げは降ってくる平行光を正面から見る向きなので前方散乱が支配し、晴れの暗帯が霞で白帯に変わる。空がそのままエアロゾル計器になる構成。
- 端キャップ採光(Kalpana One)。放射線遮蔽に約10t/m²のレゴリスを積む設計では側窓は装甲に開けた穴でしかない。船殻を無窓にして端キャップだけ透明にし、軸沿いに光を導入・拡散する。太陽で駆動する軸灯。
- 完全無窓+電灯(ガンダムの密閉型もここ)。軸灯型に空は無い。全天が暖色の土地で天頂に眩しい線が走る。airlightは明るい背景に埋没する。
現代設計の重心は遮蔽の質量経済から2と3に寄っている。現実のコロニーの空は軸配光側になる可能性が高い。
地球の空と同じ露出で並べる

図の色票は左から、地球の晴天天頂、窓型円筒の清浄な天頂、霞の天頂、対面の土地、軸灯型の空(=土地)。
黒体5778Kの光源・植生と土壌の分光アルベド・1バウンスの環境光を入れて、地球の晴天天頂(太陽高度45°・視程40km)を同じ機構・同じ露出規則で並置した。地球の天頂は#74839fの青灰。窓型円筒の清浄な天頂は#5a729c。色相はほぼ同じで輝度は74%。清浄な円筒の空は霞んだ日の地球の空の少し暗い版、が正確な言い方。ただし比較は非対称で円筒側は清浄空気・地球側は視程40km。視程16kmの霞での円筒天頂は白熱(土地の5.4倍の輝度)のままなので、晴と霞での空の振れ幅は地球より遥かに大きい。
軸雲は地表湿度41%から
断熱冷却−15.2Kを厳密なパーセル計算に載せると、軸で飽和が始まる臨界の地表湿度はRH*=41.3%。これを超えると軸コアが雲柱になる。この41.3%は等温の気圧分布と断熱の温度を混ぜた近似の値で、気圧分布も断熱で整合させると41.5%。感度0.2ポイントなので以下は41.3%側の計算値で通す。RH50%で雲底1757m。RH60%で1167m。RH70%で768m。地球の快適湿度とされる40〜60%はちょうどこの閾値を跨ぐ。見える空が欲しければ除湿で地表湿度を41%より下に保つ必要がある。
回転が対流の形を強制する

図の左は前節の地表湿度に対する雲底高度で、縦の破線が閾値41.3%。右はこの節の浮力パーセルの断面内軌道40分ぶん。
コリオリパラメータ2ωは地球中緯度の約1100倍。ロスビー数(Rossby number)は0.014で地球の総観規模の一桁下という回転支配の世界になる。10m/sで動く空気塊の慣性半径はv/2ωで約90mしかない。抵抗なしの浮力パーセルは上昇せず浮力と直交に0.62m/sでドリフトする。線形抵抗を入れても実効上昇は0.006〜0.055m/sで軸まで16〜160時間。断面内の孤立した上昇プルームは回転に抑え込まれて育たない。ここから対流は軸に平行なロールへ組織化し雲は軸方向の筋(cloud streets)になる、というのがこの計算の支持する読み。ただしこれは軸方向を持たない2D断面の計算からの推論で3Dでは未検証。回転対流は条件で流れの組織化が変わることが知られている(Soderlund “Ocean Dynamics of Outer Solar System Satellites” GRL 2019・Wang et al. “Diffusion-Free Scaling in Rotating Spherical Rayleigh-Bénard Convection” GRL 2021)。

図は左列が温度偏差と流線、右列が相対湿度と雲(白)。上段が窓型、下段が軸灯型。
2D断面のブジネスク(Boussinesq)計算でも確かめた。RH50%では光源型に依らず半径約1436mの軸雲柱が立ち、パーセル計算の予測1443mと独立に一致。RH38%では雲ゼロで閾値は動的にも保たれる。窓型では対流セルが地理に固定される。冷たい窓帯で下降し暖かい土地帯で上昇する0.29m/sの3セル対で、雲は土地帯の上空に並び天頂の窓方向は雲から外れる。空スキャンの結果と整合する配置。
検算
回転系のODEは慣性系から独立に検証した。慣性系では無重量で見かけの力が無く、パーセルに働く実力は共回転大気の圧力勾配だけ。運動方程式は固有振動数ω√(1+ε)(εは温度偏差の比Δθ/θ0)の2次元調和振動子に還元される。これを直接積分し回転座標変換で回転系ODEと突き合わせると、軌道12kmで最大位置差4.9e-9m。ドリフトも数値積分・力の釣り合い・振動数差の3経路で0.597/0.615/0.612m/sと揃った。回転系で「浮力と直交のドリフト」に見えていたものの正体は、共回転よりわずかに速い調和振動子が周回のたびに少しずつ先行して見える現象。
起動シーケンスの気象学
大気は勝手には共回転しない。回すのは地表摩擦と乱流で、分子粘性だけなら時定数R²/νは約2万年。乱流渦粘性10m²/sなら12日オーダー。共回転の成立自体が対流と乱流に暗黙に依存している。スピンアップは空気を外へ振り飛ばして地表+9.8%・軸−9.2%へ再配置するので、軸82.7%の気圧勾配はスピンアップの痕跡でもある。
問題は途中経過。スピンアップ途中の遅れ風は最大177m/s。動圧19kPaは地上の耐風設計(1〜3kPa)の一桁上。しかも方向一定のまま数日から数週かけて0から177m/sまでの全風速域をゆっくり掃引するので、全構造物の臨界風速に順番に滞在する周波数掃引試験になる。タコマナローズ橋(1940年)の実相は共振でなく自励フラッター(負の空力減衰)で、発火条件は臨界風速付近の定常風が長時間続くこと。同型の条件をスピンアップは全風速域で作る。
正しい起動順序ならこの問題は消える。空のまま回し切ってから回転状態で緩速給気すれば、注入分だけが小刻みにスピンアップし遅れ風は給気レートで任意に小さくできる。街の建設はその後。逆に危険なのは街と大気を積んだままの回転変更で、遅れ風を20m/s以下に抑えるなら3〜4ヶ月・5m/s以下なら年単位かかる。シリンダーは自分の天気に律速されて急には回転を変えられない。
トイモデルの限界
近似の台帳。光学は単散乱のみで濃霞の空輝度と天空光の床を過小評価する。断面2Dで軸方向は無い。対流計算は2D非圧縮ブジネスクで軸まで17%ある密度変化を落としており、潜熱なし・雲の放射効果なし・渦粘性は定数。背景大気は剛体共回転を仮定し対流によるシアの発達は未解。水収支は蒸発と凝結のみで、定常には除湿シンクが要る。土地のアルベドは植生50%+土壌50%の1種類。鏡の太陽鏡面像はスキャン外。数字はどれもこの近似の中の値。
spinwardへの反映
回転コロニーのシミュレータspinwardを公開している。今の実装の霧は円筒全体に一様で、境界層仮説の下では見上げの対岸コントラストを3.5倍落としている(74%→21%)計算になる。確定した分から反映していく。